ヨーロッパ磁器への憧れ
私はポーセリンペインティングを習っています。
絵付けの世界に触れるようになってから、17世紀から19世紀のヨーロッパ磁器に魅了されるようになりました。
マイセン、ヘレンド、ロイヤルクラウンダービー、ジノリ、セーブル、KPMベルリン。
教本や写真で作品を見るたびに、いつか本物を見てみたいと思うようになったのです。
そして私はドイツへ向かいました。
マイセン磁器製作所。
ドレスデンの日本宮。
美術館に並ぶ数々の名品。
そこには柿右衛門様式の作品や華やかな金彩の磁器、そして光を透かすほど薄い卵殻手のカップもありました。
本物を前にして感じたことがあります。
ヨーロッパの磁器は、まるで豪華なドレスのようでした。
一方、日本の古伊万里や有田焼、三河内焼は、美しい着物や帯のように感じました。
その時初めて、日本の技術はヨーロッパに劣るものではなく、むしろ憧れの対象だったことを実感しました。
逆輸入のような旅
ドイツから帰国した私は、今度は日本の磁器をもっと知りたいと思うようになりました。
そして有田へ。
三河内へ。
本物を見て歩く旅が始まりました。
三河内では五光窯を訪ねる機会がありました。
当主の方はとても気さくに工房を案内してくださり、お茶までご馳走になりました。
そこで体験したことは、今でも忘れられません。
カップで味が変わる
紅茶を三種類の器で飲み比べました。
陶器。
磁器。
そして卵殻手。
同じ紅茶なのに、味わいが違う。
最初は信じられませんでした。
しかし確かに違うのです。
口に触れる角度。
唇が感じる温度。
飲み物が口の中へ流れ込む位置。
器の厚み。
理由をすべて説明することはできません。
それでも違いは確かに存在しました。
以来、私は新しいカップを手に入れるたびに同じことを試しています。
コーヒー豆の種類。
焙煎の深さ。
挽き方。
それによって相性の良いカップが変わるのです。
その中でも特に印象に残るのが、マイセンであり、三河内焼でした。
器はただの道具ではない
私たちは器を単なる道具だと思いがちです。
しかし器は、その時代の技術であり、文化であり、人々の暮らしそのものです。
江戸時代の日本では、漆器や陶磁器が暮らしの中に根付き、器を大切に使い続ける文化がありました。
良い器を選び、手入れをし、長く使う。
そこには物を消費するのではなく、価値を受け継ぐという日本独自の美意識があったように思います。
三河内焼の卵殻手もまた、その延長線上にあります。
一客のカップには、職人の技術だけでなく、その土地の歴史と人々の暮らしが宿っているのです。
サイエンスと文化が宿る一客のカップ
磁器は単なる器ではありません。
そこには材料があります。
焼成技術があります。
設計があります。
科学があります。
歴史があります。
文化があります。
人の技術があります。
そして土地があります。
一客のカップの中に、サイエンスも文化も歴史も凝縮されているのです。
だから私は磁器に惹かれます。
だから私は三河内焼が好きなのです。
光を透かす技術
今回のタイトル写真でご覧いただいた三河内焼 五光窯の卵殻手は、卵の殻のように薄い磁器として知られています。
光にかざすと向こう側が透けて見えるほどの薄さです。
しかし、ただ薄いだけではありません。
その繊細さを実現するには、高度な技術が必要です。
そしてその技術は、何百年にもわたり受け継がれてきました。
現在でも卵殻手を作ることができる窯元は限られています。
その一つが五光窯です。
価値を受け継ぐということ
三河内焼は、決して広く知られている存在ではありません。
有田焼や伊万里焼、波佐見焼に比べれば、名前を聞いたことがない人も多いでしょう。
しかし窯元の方々は長年にわたり海外で作品展を開き、自ら普及活動を続けてきました。
素晴らしい技術でも、知る人がいなければ受け継ぐことはできません。
価値を残すためには、まず知ってもらうことが必要なのです。
資産アトリエより
私は三河内焼が好きです。
作品だけではありません。
窯元の方々の姿勢も好きです。
長い歴史を受け継ぎながら、新しい挑戦を続けている姿に敬意を感じます。
価値あるものは、自然に残るわけではありません。
それを守ろうとする人がいて、伝えようとする人がいて、初めて次の世代へ受け継がれていきます。
光を透かすほど薄い一客のカップ。
その中には職人たちの技術だけではなく、何百年という時間が宿っています。
もし機会があれば、ぜひ一度手に取ってみてください。
きっとそこに、日本が誇る技術と美しさを見ることができると思います。


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